1815年1月。話はナポレオン1世がジュアン湾の浜に足を下した時に遡ります。彼の周りには1200名の家臣たちが再びパリに集まり、彼らの皇帝を王位につけようとしていました。ここから6日間324キロの大移動は始まりました。ナポレオン街道、とは、1932年に正式に名づけられた、プロバンス・アルプ地方とローヌアルプの2地域4件にまたがる大街道です。
ゴルフ・ジュアン、そしてヴァロリスからグルノーブルまで、つまり地中海からアルプス山脈までプロヴァンス地方を縦断したナポレオン街道は、1815年にナポレオン1世が通った道そのものです。
ヴァロリス湾からカステラーヌのジュアンまで
この街道の始まりの地点。ナポレオンはすぐにジュアンへ向かいました。街道はカンヌからグラースまで、プロバンスの典型的な村々を通り抜けて行きます。
カステラーヌ~ギャップ
ナポレオン率いる軍が内陸へ進むにつれ、標高が高くなってゆきます。ヴェルドン渓谷の要塞都市、カステラーヌはレック峠手前の重要拠点。デュランス川にそって、軍隊が少しずつディーニュ、システロン、そしてますます起伏が激しくなるギャップへと進んでゆきます。
当時、カステラーヌからギャップまでの道のりは、プロヴァンスで最も未開の地であったのです。
ギャップ~グルノーブル
ギャップでは、ついにアルプスの山々が連なる光景が広がります。さらに前進を続けるうちナポレオンは、自分の人気が落ちていないことを感じ落ち着きを取り戻します。最も象徴的な場所といえば、ラフレー村でしょうか。この「出会いの草原」で、ナポレオンは自分を捕らえに来た王政軍に、自分の軍隊へ加わるように命令します。この伝説の逆転劇で、ナポレオンはパリまでやってくることになります。
by France.fr編集部
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