テニス・ア・ラ・フランセーズ
パリ16区のポルト・ドートゥイユ、牧歌的で静かでシックな地区が、毎年春の太陽が輝き始めるや、大変身します。世界中の一流選手たちのラケットの音ともに、シックとショックが交差します。
テニスの4大国際大会(グランドスラム)の1つ全仏オープンが、ローラン・ギャロス競技場で開催されるのです。
飛行家ローラン・ギャロス
当時、全仏オープンを運営していたラグビー・クラブのスタッド・フランセが、フランス・テニス連盟に、一つの条件を付けて敷地を譲ることを提案します。
その条件とは、その3ヘクタールの土地に、スタッド・フランセのメンバーであり、1913年に史上初めて地中海横断飛行に成功した飛行乗りのパイオニア、ローラン・ギャロスの名前をつけることでした。その約束は守られ、1928年以降、全仏オープンは、スタッド・ド・ローラン・ギャロスと名付けられた競技場で開催されるようになり、全仏オープンもローラン・ギャロス・トーナメントと呼ばれるようになりました。
そうした競技場の歴史に触発されたのか、20年代からに30年代にかけて活躍し四銃士と呼ばれた4人のフランス人男子選手が、その年、宿敵アメリカを破ってデビスカップを制覇。四銃士の1人であるコシェは、やはり四銃士の1人のラコステを破って、全仏選手権のシングルで優勝しました。
現在、全仏オープンは、クレーコートで競われる世界最大のテニス大会となっています。単に規模として最大であるだけでなく、プレーの条件が厳しいことから世界で最も過酷な大会でもあり、プロのテニス選手たちは、マラソン選手のような厳しい試合を強いられます。クレーコートはバウンドした球が減速しやすく、ラリーが長く続くことが多いため、際限なく試合時間が伸びることがあるのです。全仏オープンでは、男子は5セット、女子は3セットで争われます。
ファッション業界とセレブが出会う場所
パリと言えば、ファッションの都。ローラン・ギャロスの期間中は、ポルト・ドートゥイユにまでパリの華やかな雰囲気が押し寄せます。競技場の通路ではパリのセレブなお金持ちが行き交い、週刊誌をにぎわせます。ファッション業界も負けじと高級ブランドの看板がたちならび、フランスならではのアール・ド・ヴィーヴルを垣間見せてくれます。
by France.fr編集部
あなたの知らなかった、新しいフランスの魅力をお伝えします。