「YSL」 この3つの文字は、60年代以降のファッション界に多大な影響を与えたデザイナーのイニシャルです。フランスのオートクチュール界の天才と呼ばれた彼の名は、イヴ・サン・ローラン。服に対する既成概念を打ち破る近代的なヴィジョンでファッションに革新をもたらし、数奇な運命を生きました。
若き成功者
1954年、17歳の若き天才は、当時フランス領だったアルジェリアのオランからパリへやってきました。その3年後、運命の糸は彼をクリスチャン・ディオールの元へと導きます。そして彼の死とともに、わずか21歳で、ディオールの主任デザイナーとなったのです。 これを機にイヴ・サン・ローランは空前の成功に満ちたキャリアを歩き始めます。1961年にはついに、恋人であるピエール・ベルジェの後援を受けて、自身のメゾン、イヴ・サン・ローランを立ち上げました。
ファッション界のスター
ピエール・ベルジェとイヴ・サン・ローラン、この伝説のカップルの愛と天才的なビジネス感覚が、イヴ・サン・ローランを、オートクチュール界の世界的スターの座へと押し上げました。 YSLは、まさに文字通りファッションの創造主となります。彼は、芸術や、彼が愛したエキゾチックな場所(アジアやロシア)からインスピレーションを得て、スタイルを作り変えたのです。
伝統の破壊者
初期のコレクションの頃から、イヴ・サン・ローランは、自分のやり方を明確に示していました。彼は、戦後のパリのオートクチュール特有のコードを破り、当時の厳格で不自然だったモデルを捨て去りました。 自由になりたい、という女性たちの声に耳を傾け、ピュアなラインを求めた彼のファッションは、プレタポルテの時代の到来を告げることになります。彼が、1966年にパリに開いたブティック、サン・ローラン・リヴ・ゴーシュは、プレタポルテの初のブティックでした。こうして、彼は、万人に開かれた現在のファッションにつながる道を開いたのです。
芸術とエキゾチックな場所:創作の源
1966年夏の初の女性用タキシードや“トップレス・アビエ”を発表したのは彼です。シックに作り変えられたサファリ―・ルックや有名なピーコート、それも彼です。こうして、次々と服装に関して保守的な大勢の人々を驚かせるスタイルが発表されていきました。 また芸術に対する興味も、彼の作品には良く表れています。たとえば、1965年の有名なモンドリアン・ルックは、画家ピエト・モンドリアンの抽象画へのオマージュです。同じく、1988年春夏のピカソ、1980年のマティス、そして1969年には彫刻家ラランヌと、それぞれの芸術家の作品から着想を得たドレスを発表しています。
20世紀の偉大なデザイナーだったイヴ・サン・ローランは、女性たちのワードローブを引っ掻き回し、女性に着せるために男性の服装からヒントを得てファッション・コードを変革し、そして2008年に、この世を去りました。
by France.fr編集部
あなたの知らなかった、新しいフランスの魅力をお伝えします。