「マティス 自由なフォルム」開催 ニースの街で、巨匠の足跡を辿る
ニース・コートダジュール
2024年2月14日から5月27日まで、東京・国立新美術館で「マティス 自由なフォルム」が開催されます。
これを機に、マティスに大きな影響を与えたニース・コートダジュール地方の魅力に触れる旅に出てみませんか。
プレゼントキャンペーン応募の詳細は、ページ下部をご覧ください。
ニース・コートダジュール 旅のしおり
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マティスとニース・コートダジュール地方:画家の足跡を辿る
ニースはその光、色彩、個性、そして恵まれた地理的ロケーションから、つねに多くの芸術家たちを魅了し、インスピレーションを与えてきました。
アンリ・マティスはニース・コートダジュールを愛し、37年にわたってその美しい地で過ごしました。1917年、48歳で初めてニースを訪れたとき、彼は光と地中海のきらめきに強く心を揺さぶられ、激しく情熱を掻き立てられます。
そして気管支炎を治療するために訪れた当地で、残りの生涯のすべてを過ごすことになったのです。
ニースとの出会いについて、マティスは次のような言葉を残しています。
「毎朝この光を目にするのだとわかったとき、自分の幸せが信じられなかった。私はニースを去るまいと決め、人生のほぼすべてをこの地で生きた。」
ニースからカーニュ・シュル・メール、ヴァンス。マティスはニース・コートダジュールにインスピーションの源泉を見いだしました。そしてそのインスピレーションから生まれた自身の作品を通じて、彼は今日、この地に永遠の足跡を刻んでいます。
マティスの人生を辿る必見スポット
マティス美術館:マティスとその作品に特化した美術館
マティス美術館Musée Matisse (外部リンク)は1963年、ニースの高台にあるシミエCimiez地区に建つヴィラ・デ・ザレーヌVilla des Arènes内に設けられました。赤とオークルのファサードを擁する17世紀のジェノヴァ様式の建物は、アレーヌ・ド・シミエ公園parc des Arènes de Cimiezのオリーヴ林が広がる周囲の景観と見事に融合しています。
マティスを専門に紹介する当館のコレクションは31点の絵画、454点の素描と版画、38点の切り紙絵、57点の彫刻から構成され、彼の制作活動の全期間をカバーしています。さらに400点を超える切り紙絵の素材とマティスの私物も収蔵。ここを訪れることは、彼の芸術的な創造活動の内奥に触れる特別な機会を得ることを意味します。
2023年、マティス美術館は開館60周年を迎えました。
- ・マティス美術館は火曜日と祝祭日を除く毎日開館しています。詳細はこちら(外部サイト・英語/フランス語)をご覧ください。
- ・【2024年3月14日まで修復のため臨時休館しています】2024年3月15日リニューアルオープン
- ・展覧会「ミロとマティス イメージを越えて」:6月28日~9月29日
マティス美術館 Musée Matisse
164 Av. des Arènes de Cimiez, 06000 Nice
ヴァンスの町とマティスの芸術的集大成、ロザリオ礼拝堂を訪れる
1943年6月、マティスは戦火から逃れ、ニースを離れ、ヴァンスVence (外部リンク)にあるヴィラ・ル・レーヴVilla Le Rêve Vence (外部リンク)に移り住みました。
閑静な地区にあるこのヴィラは木々と花々が植えられた2,500m2の庭を持ち、朝から夕刻まで降り注ぐ陽射しと、ヴァンスの旧市街と海を見晴らす眺望に恵まれています。マティスは花咲くテラスと地中海地方ならではの植物に彩られた庭を大いに気に入っていました。
マティスはここで、有名な《ザクロのある静物》《エジプト風のカーテンのある室内》《大きな赤い室内》などの代表作を制作しました。
1947年、マティスは以前に絵のモデルを務めた修道女から、礼拝堂の建設に関する依頼を受けました。
そうして当時78歳だった彼は、礼拝堂の全体をつくり上げるという総合芸術作品に取り組みました。シンプルきわまりない真っ白な建物から清澄な室内装飾まで、ステンドグラスから調度品、さらには半ダースほどの上祭服(カズラ)にいたるまで、すべてをデザインしたのです。1948年に建設が始まったこのロザリオ礼拝堂Chapelle du Rosaire Vence (外部リンク)は、1951年6月25日に完成しました。
大きなステンドグラスは黄色、緑、青の3色で構成されており、光が白い壁や床に色鮮やかに差し込んでいます。白い陶板に描かれた3つの大きな絵は、聖ドミニクス、聖母子、十字架の道行を連想させます。
黄、緑、青の3色で構成されるステンドグラスを通じて差し込む陽射しが、内部の白い漆喰壁を光で満たします。白い陶板に黒い線で描かれた3枚の大きな絵は、それぞれ聖ドミニコ、聖母子、十字架への道をイメージしています。
- ドミニコ修道女たちのための礼拝堂では、ヴァンスのロザリオ礼拝堂とマティスによるデッサン、版画、写真などを集めた展示スペースを見学できます。詳しくはこちら(外部サイト・英語/フランス語)をご覧ください。
ニースで画家の足跡をたどる
オテル・ボー・リヴァージュ
1917年12月、マティスが南仏を初めて訪れたときに泊まったホテルです。海に開けた窓を持つ、狭くていわばありきたりなこのホテルの部屋で、マティスは最初期の《ニースの室内》を描きました。
100年の歴史を持つオテル・ボー・リヴァージュHôtel Beau Rivage(外部リンク)は現在、海にも旧市街にも中心部にも近い絶好のロケーションを誇る4つ星ホテルとなっています。プライベートビーチを備えた当ホテルの部屋は114室。シックで現代的なインテリアが魅力です。
サレヤ広場、ニース旧市街
海からすぐの場所にあり、花市場と活気あふれるレストランで有名なサレヤ広場Cours Saleyaもまた、マティスが暮らした場所の一つです。
1921年、彼はニースの旧市街、サレヤ広場Cours Saleya(外部リンク)の奥に建つ館(パレ・カイス・ド・ピエルラス – シャルル・フェリックス広場1番地)内のアパルトマンに居を移し、まずは4階、次いで5階に住みました。そして海を望むバルコニーが付いたこのアパルトマンで、彼の「ニース時代」を特徴づける静物、室内、裸体、オダリスクを描きました。
マティスはニースの港界隈に足を運ぶことも好きでした。1927年にはニース水上スポーツクラブに入会し、精力的にオールを漕ぎました。
シミエ地区
1938年、マティスは高級住宅街のシミエCimiez地区にある広大なアパルトマンを購入します。アパルトマンが入っていた建物は元々、19世紀末に英国のヴィクトリア女王を迎えるために建てられたホテルでした。フランスの「歴史的記念物」に指定されているこの旧オテル・レジーナl’ancien hôtel Réginaは現在、個人のレジデンスとして使用されています。